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1ヶ月遊んで語学を伸ばした私の体験談
フィリピン留学体験:名倉 優子さん 28歳
マクタン島への留学
私はマクタン島というフィリピン中部セブ州にある小さな島で1か月間短期ですが語学留学をしました。
きっかけは、リゾートバイトをしている時に友人が、
「安く英語を勉強できる留学プランがある」と教えてくれたことです。
早速ウェブでエージェントの口コミを調べて、資料請求をしました。
私が学校を選んだ決め手は、学校にいるアジア人の比率でした。
日本人はともかく韓国人が90%の学校にはどうしても行きたくなかったので、
マクタン島という小さな島にある学校に決めました。
その学校はアジア人の比率が10%だったので少し高かったです。
留学費用
費用は1ヶ月で往復の飛行機込みで約14万でした。
さらに私が選んだ学校は寮があったので
宿泊、食事、怪我をした際の簡単な治療も含まれていました。
待たされた上に怪しい人かも、、、!?到着直後不安に襲われました。
エージェントに全額振り込みをした後すぐに返信のメールと共に、
空港から無料送迎してくれるスタッフの顔写真が送られてきました。
これは空港で間違えて別の学校に行ってしまう生徒が多いからです。
私が空港に到着したのは夜中の12時頃でした。
マクタン島の空港はとても小さい割にたくさんの旅客機が同じタイミングで到着したので、
イミグレーションは長蛇の列でした。
私の番になるまで約2時間かかり、その時点で2時を過ぎていたので、
空港送迎の人が帰ってしまっていたらどうしようとかなり焦っていました。
やっとゲートを抜けあらかじめプリントしておいた顔写真付きの書類を持ってウロウロしていると、
私が通う学校の名前のプラカードを持った人を発見しました。
近くまで行くと私の名前を呼びずっと待っていたと言われたのですが、
その人と、私が持ってる顔写真の人は全くの別人でした。
説明する英語力もなかったので写真をおもむろに見せると、
彼はなぜか日本語で「ダイジョブ」と答えました。
「全然ダイジョブじゃない!!」、と心の中で叫びましたが、
フライトで疲れていたのでバンに乗りこむことにしました。
暗闇をバンが走る中、不安と眠気が一気に押し寄せウトウトしていると、
ものの30分くらいで学校らしきところに到着し少しホッとしました。
受付でパスポートと書類を提出すると受付のお姉さんに、
「明日朝8時にまたここに来てください」
と言われ受付を後にすると、さっき運転してくれてたおじさんが荷物を隣接の寮まで運んでくれました。
部屋は4人部屋でもう誰かすでに寝ていたので私も倒れこむように就寝しました。
学校での実際の生活
翌日8時に言われていた受付に行くと部屋に案内され、すでに数人集まっていました。
そこでは学校内の施設、ルール、アクティビティなどの説明がありました。
そのあと語学力のテストをし、簡単な面接のあとランチまで自由時間になりました。
私は昨日飛行機で到着してから何も食べていませんでした。
なので、
「死にそうなぐらいお腹が空いてる」
と同室のベトナム人の子に必死の英語で話すと、朝ごはんは7時に食堂に行けば食べれる、とのことでした。
どうやら到着時に受付のお姉さんが何か説明していたのはその事だったようでした。
学校での1日の生活は、
朝8時から3時まで3コマのグループレッスンに1コマのマンツーマンレッスンで、
授業の間に休憩時間があるのでその間は宿題をしたり、
学校内にあるプールで泳いだりと自由な時間がありました。
最初の週に入学した日本人は私だけで、
他にはロシア、モンゴル、スペイン、サウジアラビア、ベトナム、台湾と多国籍でした。
さらに英語力もみんな同じぐらいだったので壁を感じることもなく過ごすことができました。
学校では毎日夕方からアクティビティがあり、
月曜日はヨガ、火曜日はズンバ、水曜日はチームでバスケットボール
など毎日何のイベントに参加するのかを話すのが日課でした。
週末は先生たちを誘ってボートでシュノーケルに行ったり、
近くのリゾートホテル内のプールに無料で入りに行ったりしました。
お金は現金を空港で少しだけ換金し、あとは国際キャッシュカードで引き出したりしていましたが、
朝から夜までご飯付きだったのと小さい島なので、
そんなにお金を使うこともなく、実際に使ったお金は3万くらいでした。
その後・・・
日本人がいなかったことと、
常にアクテビティがあったおかげで話題がありコミュニケーションを取りやすい環境にいた為、
1ヶ月で私の語学力は急成長しました。
帰国後は台湾に遊びに行ったりベトナムの子が日本に遊びに来たりなど、今までなかった国際交流が増えました。
東京に戻った私は外国人用のゲストハウスの受付での仕事をゲットすることができました。
今でも学校の友達と連絡を取り合っています。
私があの学校を選んでいなかったら、今の私の生活はなかったでしょう。